焼火神社は島根県隠岐郡西ノ島の最高峰、焼火山(海抜452m)の8号目辺りにあります。
平安中期、一条天皇の時代に創建。
ある大晦日、海上から3つの火の玉が浮かび上がり、
その火が現在の社殿のある巌に入ったのが焼火権現の縁起とされています。
焼火神社に伝えられる最も古いとされる万治2年(1659年)の縁起の中には、
「弘法大師空海が入唐の折、博多の裏で風待ちの際に夢のお告げがあり、光明輝く玉が枕元に出現した。その玉が一度高野山に安置された後、隠岐国の海中より現れた大山(焼火)権現の御神殿に天長8年(831年)より納められ、海上安全の御神徳をいよいよ顕わすことになった」とあります。
江戸中期の『諸国里人談』の「焚火」の項にも、「隠岐国の海中に夜火海上に現す。是焼火権現の神霊なり」とあり、また、明治25年のラフカディオ・ハンの『隠岐紀行』には「霊火が三つ海から現れ出て社殿の処へ昇り、社殿の前の石灯篭の中に入り、燈のやうに燃えて居る(後略)」 とも記されています。
また、隠岐島は北前船の要所であり、海が荒れたときには焼火権現に祈ると、
御神火が安全な所へ導いてくださると、海上安全の神として
遠く三陸海岸に至るまで人々の信仰を集めていたそうです。
後鳥羽上皇の和歌にも詠まれ、歌川広重、葛飾北斎が隠岐焚火社として描いています。