焼火神社でお神楽を拝見した翌日、水野先生は宿泊していた西ノ島の国賀荘の一室に籠り、昨夜のことを描き始められました。
描きたい、と思ったその瞬間に筆を動かすことがとても大事なのだそうです。
今回のプロジェクトで、私にとって贅沢で幸せなことの一つは、こんな風に絵が生まれる瞬間に立ち会えたことです。
用意してあった石州和紙の上に立ち現れてきたのは、お神楽の様子だけではなく、焼火に息づくものたちでした。
昨日、参道を上りながら、水野先生が時折立ち止まっては、掌サイズの白い紙に鉛筆で何かを描かれていたのは知っていたのですが・・・
そのスケッチされた紙を左手に、右手に筆を持ち、先生は迷うことなく、するすると筆を動かしていかれます。あの場に漂っていた気配というものが描かれていくように感じました。
ちなみに焼火神社を中心とする約4haの山林は、「焼火神社神域植物群」として1970年に県の天然記念物に指定されています。「神域」とされる場所だけに、貴重な植物が今も多く自生しているのです。
そのなかの筆頭は「タクヒデンダ」でしょう。デンダ(連朶)とはシダの古名ですが、「タクヒ」という冠がついた美しいシダが確かに青々と茂っていました。
ただ、水野先生には天然記念物だろうが、そんなことはきっと関係なく、先生ならではのセンサーで、この地の生きとし生けるものと交流されていたのではないかと思います。
私はといえば、何か言葉にするものを感じ取りたいと参道を歩き、お神楽を見ていたつもりでしたが、いま思えば、ただただ気持ちよく歩き、ただただお神楽を見て楽しい気分になっただけのような気が致します。
後日、先生は東京のアトリエで、新しい和紙に神楽の絵を描かれました。私もさらに焼火神社のこと、お神楽のことを調べました。国会図書館には、焼火を旅した小泉八雲の随筆などもありました。
いつものことながら、私は自分の身体(脳ではなく)いっぱいいっぱいに情報を詰め込み、しばし発酵の時を待たねば、言葉を紡げません。
本に載せる文章は、その1ヶ月後ぐらいに漸く形になってきました。そして、今読み返すと、自分が書いたとは思えない言葉が並んでいます。
書かせていただいた、と感じています。
Japan Craft Bookプロジェクト
代表 稲垣麻由美
ーつづくー