ご存知のように出版業界は今、非常に厳しい状況です。たとえば、話題のあの本を読みたいと思ったとき、本屋さんに行くより前にメルカリなどの中古市場で検索するという方も多いでしょう。日々情報は溢れていますし、文字情報を読むよりYouTubeを見た方がわかりやすくて便利、なんてことも増えています。
また先日、昼下がりのカフェで、ある男性が革のブックカバーに包んだ分厚い本をゆったとした空気感を纏いながら読んでいる姿をみて、なんてかっこいいと思いました。これも、読書する人を見かけることが珍しくなったから、ということに他なりません。
そんな時代に、なぜ自分は本をつくりたいと思うのか。こんなに多くの人を巻き込んで大丈夫なのかと、正直なところ、不安になるときもあります。ですから、繰り返し、なぜ、何を、誰に、を日々自分に問い続けています。
そんな日々の中で出てきたのが「畏怖」という言葉でした。なにかを克服するという発想ではなく、自分ではコントロールできないものや自然界のようなものに対して、もっと畏怖の念や畏敬の念を持っていれば、我々はもう少し違う流れの中で生きてこられたのではないかと思うのです。
焼火神社という場所に立ったとき、その地が持つエネルギーや積み重なった歳月の記憶の渦に巻き込まれ、自分という存在のちっぽけさを体感しました。それは強烈な経験でした。こういった場所に、古来より人は神威を感じ神社仏閣を建ててきたのでしょう。
今回の本作りに込めたいのは、その「森羅万象に畏怖の念を抱く日本人の感性」です。都心に建ち続けている高層マンション群を見る限り、その感性を日本人はもはや忘れているようにも思えますが、我々のDNAの中にあるその価値を掘り下げ、それを世界へ届けたいという大それた欲求が湧いてくるのです。
それは、戦争が起きたことでより強くなりました。もちろん、そのようなものがとんでもない指導者たちの行動を変えるなどとは微塵も思っていません。ただ、水面に吹いた微かな風が小さな波紋を生み、その波紋が広がっていくことは期待しています。
そしてそれが、「日本の神様の物語を、日本の紙に綴る、描く」というこのプロジェクトのコンセプトにつながっています。神様は、ある意味エネルギーであり、日本の紙を世界へ配ることは日本の神様を配ることになる、とも思っているのです。全てに波動は宿りますから。
だからこそ、本に添える絵は美しく力強いものでなくてはならず、綴る文章も手にしてくださった人のこころの中で膨らむものであって欲しく、本に宿る佇まいがよくなければ、込めた思いは届かないと思っています。
掌にのる小さな紙の束にそんな思いを宿した今回の試み。時に迷い立ち止まりながらも、一緒に楽しんでくださっている方々に心から感謝しつつ、進めていきたいと思います。
焼火神社の例大祭にて目の前で拝見した御神楽は、私にとっては実にエキサイティングなものでした。想像していた以上に明るい音階で、ビートが効いたリズムに合わせて展開される神楽は人々を一種のトランス状態へと誘っていきます。
そして、そのときの情景を描いてくださった水野竜生先生の絵をもとに、本作りは進んでいます。
Japan Craft Bookプロジェクト
代表 稲垣麻由美
ーつづくー