隠岐島滞在の一番の目的は、焼火神社の例大祭に参加し、お神楽を拝見することでしたが、私にはもう一つ楽しみがありました。それは、画家の水野竜生先生がこれまでに隠岐で描かれた10メートル作品の数々を実際に見てみたい、というものでした。
そして今回特別に、海士町在住のデザイナーでアートディレクターでもある南貴博さんのご配慮により、それらを一挙に拝見することができたのです。
以前のメルマガにも書きましたが、南さんご夫妻と水野先生は南さんが東京から隠岐に移住される前から親しくされており、「先生、隠岐に一度遊びに来てくださいね」と南さんがお声かけされなければ、あの焼火神社での絵は生まれていなかったという経緯があります。
また南さんは、今回の本のデザインを担当してくださる谷さやさんの先輩でもあります。私が初めて一人で隠岐に行った時にも、焼火神社の松浦宮司にすぐお目にかかれるよう案内してくださったのが南さんでした。
そう、南さんは今回のプロジェクトに欠かせない重要なキーマンでもあるのです。その上、才能豊かでお人柄も素晴らしいところも強調しておきましょう^ ^
https://note.com/minamidesign/
なにごとも人のご縁なくして事は進まず、損得なしに、人の喜ぶことを率先して、しかも楽しくやれる人が結果として福を呼ぶことになるのだと、今回のプロジェクトを通して、私は関係者の皆々様から教えていただいています。
さて、その南さんが海士町で運営されているコワーキングスペース「喜多屋」さん(https://www.kitaya-ama.com/)にて、作品を見せていただきました。
喜多屋さんの目の前はすぐに海。早速外に出て10メートル作品をまずは1本広げていただきました。
なんという迫力!!
こんな風に「絵」を楽しんだのは初めてでした。自然の中で彫刻を鑑賞することはあっても、太陽と心地よい潮風の下で絵を楽しめる機会はそうないと思います。
私はこの作品の横にゴロンと寝そべってみました。仰向けになったり、横向けになったりして目だけでなく、感じる鑑賞を実践。立派な言葉なんてものは浮かばず、「いい気分!」と、ただごきげんさんになっていました。
水野先生は2019年7月の焼火神社を皮切りに、10メートル作品を描き続けておられます。
「どうしてこんな大作を描かれるようになったんですか?」と先生に尋ねると、
「普段、画材の準備をするときは、キャンバスか紙か、またそれをパネルに貼るのか、木枠に張るのか、描いた後、どのように飾るかまでを考えるんですが、東京から遠く離れた島で描くにあたっては、これだという方法が決められずにいたんです。
麻のキャンバス10メートルを現地にまずは送りました。で、直前になって、いっそのことキャンバスを切らず、現場でそのまま描くのが、あの焼火神社で感じた地の底から遥か宇宙の果てまで吹き上がる怒涛のエネルギーと共感したというか、共振したというか、一体化したというか、そういうものが現れるのに一番いいんじゃないかと思ったんです。それからなのです」
と話してくださいました。
その焼火以後も、作品が続々と生まれているわけですが、その背景を大きく分けると2パターンあるそうです。
- 神社や自然など、その場所に行った上で“場”のパワーを直接得てその場で描いたもの
- その場で全身で感じたものを、現場で描くのではなく、時間の経過とともに、さらに頭の中でイメージを膨らませた上で、東京のアトリエで描いたもの
今回はその1にあたる、隠岐神社、由良此女神社、日御碕神社などで描かれた作品も見せていただきました。
その場のエネルギーのようなものを大事にされているので、その時に落ちてきた枝や葉っぱなどもキャンバスから外すことなく、作品の一部として一緒に時を刻み続けています。
そしてこれらの作品に触れた後、実は私は大いに悩み始めたのです。
「これほど語りかけてくる絵があって、私はいったい何を綴ればいいのだろう?」
「今回の本に、言葉は本当に必要なのだろうか?」と。
Japan Craft Bookプロジェクト
代表 稲垣麻由美
ーつづくー