JapanCraftBookプロジェクトは、「主に和紙を使って本を作る」を大切な柱として掲げています。
日本には1000年も持つ強靭で美しい紙があるというのに、日本人自身がその紙の魅力に触れる機会があまりに少ないという現状、和紙職人さんの仕事が激減しているというお話を聞く中で生まれた、ある意味とても安易な発想です。
また、「白い紙は神に通ずる」といわれ、神事や祝い事には欠かせないものです。
清らかな水に潜らせ、丁寧に漉き上げられる和紙には、日本人の精神性が息づいているとも言えます。神様の物語を綴り、描くのであれば、紙にもこだわるべきだと思いました。
なのに私は、マスミ東京の横尾靖さんにお目にかかるまで、和紙には決まった定義がない、ことを知りませんでした。
和紙の定義は人によって様々で、「手漉きでなければ和紙とは呼べない」という方もいれば、「海外で作った紙でも日本の伝統工芸の流れに沿ったものであれば和紙である」という方もいる、というのが現状だそうです。
そもそも「和紙」という言葉が、明治時代にやってきた西洋の紙と区別するために生まれたものです。
そういえば、100円ショップでも和紙の便箋や千代紙を売っています。
それらはコウゾやミツマタ、ガンピなどが原料ではなく、木材パルプを使って和紙の雰囲気に似せたものですが、現代の暮らしの中では、すでに「新しい和紙」として定着しています。
それが一概に悪いとは言い切れない、と最近は思うようになりました。
もちろん幼い頃から本物の和紙に触れた方がいいに違いないのですが、「障子に月明かり・・・」という暮らしがなくなってしまった今の日本において、例え和紙風のものであっても、伝統工芸の片鱗(と言ってよいのかも微妙ですが)に少しでも触れ続けていることが、ある意味重要だと思うからです。
さて、焼火神社の神楽を描いた『神迎え』は、画家・水野竜生先生の絵を西田和紙工房(島根県浜田市)の石州手漉き天日干和紙に特別な手法で印刷し、黒の洋紙にシルクスクリーンで物語を綴ったものとミックスする形で制作しています。
この『神迎え』は、コストのことはいったん脇において、自分達が一番美しいと思うものをまずは作ってみよう、という考えで進めています。
売値とのバランスを考えると、なかなか厳しいものがありますが、人の手によって1枚1枚丁寧に作られた和紙を使ったからこそ宿った静謐さと力強さがあります。
だんだんと形になる中で、「本」というより、「アート」の扉が開いたという感覚をもっています。
その反面、もう一つ同時進行で進めている、焼火神社の縁起を描いた『御神火』は、広く手にとってもらいやすいものにしなくては、と考えています。
地元で永く大切に語り継がれてきたおはなしを題材にするからには、地元の方に愛される本にしたい、と思うからです。
そのために、どこまで素材にこだわるかは大きな問題です。
先日の打ち合わせ時、篠原紙工の篠原さんとデザイナーの谷さんに「今一度伺います。稲垣さんの定義する和紙とはなんですか?」
と尋ねられました。
「……」
どの業界にも、どの仕事にもある、理想と現実の狭間でしばし足踏みしています。
Japan Craft Book プロジェクト
代表 稲垣麻由美
ーつづくー