2024年2月、『神迎え』を焼火神社へ奉納に行った際、直接お話を伺ってみたい、とずっと思っていた方に漸くお会いすることができました。
その方は、室町時代より続く、神楽を専業とする隠岐特有の社家(しゃけ)という家に生まれ、現在、隠岐島前神楽保存会・会長でもある石塚芳秀氏です。
かつて、社家は島後(隠岐島)に13家、島前(西ノ島・中ノ島・知夫里の3島)には5家あったそうですが、現存するのは、石塚家のみ。
明治までは、一般の人が神楽を舞うことは一切許されず、演じるのは社家に生まれた人のみ。門外不出の家伝秘伝として隠岐神楽は継承されてきたのです。
そんな背景を持つ石塚氏に『神迎え』をドキドキしながらご覧いただくと、第一声が「これまで、いろんな人が研究や取材に来たけれど、動画でもなく、写真なしの本を作った人は初めてだ」でした(笑)
確かに、神楽で重要なのは「舞」と「奏楽」。
その大事な要素を、見る人の想像に委ねる形に仕上げたというのは、かなり冒険だったのかもしれません。
さて、現在73歳の石塚氏の舞デビューは5歳だったそうです。高校から四国へ。そして、大学は東京へ。
東京で一旗揚げるつもりで頑張っていたのに、島の人たちから「このままでは隠岐神楽が消えてしまう。帰ってこい」との切実なラブコールを度々受け、4度目に島に帰ることを決めたのだそうです。
ただ、神楽だけで食べていける時代ではなく、隠岐島前教育委員会に職を得て、17時以降は神楽を伝えることに専念。一般の方にも門戸を開き同好会を設立。その後、プロ集団となるべく保存会も誕生し、今現在、15名の方が研鑽を重ねていらっしゃいます。また、同好会には小さな子供から高齢の方まで楽しく、そして、都会から移住してきたIターンの方もたくさん参加されているとのことです。
隠岐神楽は、離島ということもあり、外部からの影響を受けず、何百年にもわたって続く祈祷神楽としての特色がそのまま残っているのが最大の特徴。
今も舞うスペースが畳2畳分と決まっているのは、個人宅でも祈祷してきた歴史ゆえのこと。そして、どこか呪術的な独自のリズムを刻むお囃子も1度耳にすると忘れることができません。
「娯楽として楽しめる、神話を題材としたストーリー性の高いものもありますが、本来はやはり、神様や自然への感謝と祈りを表すものが神楽だと思います」と静かに語る石塚氏。
1000年近く続く社家というものが、形を少しずつ変えながら、これからも確かな意志を持って存続していくことに、隠岐という場所、いえ、日本の奥深さ、底力のようなものを感じたのでした。
さて、この夏、焼火神社の例大祭にあわせ、「焼火神社&隠岐島前神楽ツアー」(2024年7月22ー24日)を計画しました。
詳細はこちら。
https://japancraftbook.com/news/oki-tour/
ご興味おありの方は6月12日までに、こちらのニュースレターに返信する形でご連絡くださいませ。あの4分の3拍子のアップテンポなお囃子の渦の中に身を置く体験は、きっと特別な時間となります。
Japan Craft Book プロジェクト
代表 稲垣麻由美
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ーつづくー